「雇用調整助成金」という言葉を、経営者のみなさんが初めて強く意識したのは、おそらく新型コロナウイルス感染症が猛威を振るった2020年前後ではないでしょうか。売上が急激に落ち込んでも従業員を解雇せずに済んだのは、この制度のおかげだったという声を、私はこの数年で実に多くのクライアントから聞いてきました。
ところが、コロナ禍の特例措置が縮小・終了した現在、雇用調整助成金(以下「雇調金」と表記します)の制度は通常運用に戻り、申請の要件も審査の厳密さも、コロナ禍の「緩和期」とはまったく異なる水準に戻っています。「以前申請したことがあるから大丈夫」という感覚でいると、要件を満たさないまま申請してしまったり、後から不正受給として返還を求められたりするケースが発生しています。
このコラムでは、雇調金の基本的な仕組みから、現行の申請条件・手続きの流れ・費用感・よくある失敗まで、行政書士の実務目線で整理します。「いざ業況が悪化したとき、本当に使える制度かどうか」を今のうちに正しく理解しておくことが、経営者としての備えになります。
雇用調整助成金とは何か——制度の目的と仕組みを正確に押さえる
雇用調整助成金は、雇用保険法第62条および「雇用調整助成金支給要領」(厚生労働省)に基づく制度で、景気の変動や産業構造の変化などによって事業活動が縮小した事業主が、従業員を解雇することなく雇用を維持するために実施した「休業・教育訓練・出向」に要した費用の一部を国が助成するものです。
簡単にいえば、「仕事が減っても、すぐに解雇せず休ませた(または研修させた)企業に対して、休業手当の一部を補填する」制度です。雇用保険に加入している事業主(雇用保険の適用事業所を設置している事業主)であれば、業種を問わず利用できる可能性があります。
助成の対象となる取り組みは大きく三種類あります。
- 休業:事業主が従業員を一時的に休ませ、労働基準法第26条に基づく休業手当を支払うもの
- 教育訓練:休業の代わりに、事業主が従業員に対して職業訓練を実施するもの
- 出向:雇用を維持するために他の企業へ従業員を一定期間出向させるもの
助成率は、中小企業と大企業で異なります。通常期(特例措置なし)における助成率は、中小企業が休業手当相当額の2分の1(教育訓練は加算あり)、大企業が3分の1が基本です。支給上限額は1人1日当たり8,490円(2025年現在。変動があるため申請時に必ず確認してください)と定められています。
申請するために満たすべき主な要件——「条件が揃っているか」の確認ポイント
雇調金の申請が認められるためには、いくつかの要件を同時に満たしている必要があります。実務で見ていると、この要件の確認が甘いまま申請に進んでしまうケースが少なくないため、一つひとつ丁寧に確認することが重要です。
1. 雇用保険適用事業所であること
雇用保険の適用事業所として設置届を提出していることが前提です。雇用保険に加入していない事業所は対象外となります。なお、申請には「雇用保険被保険者数」が重要な指標になることも覚えておいてください。
2. 売上高または生産量が一定水準以上低下していること
事業活動の縮小を示す指標として、直近3か月の月平均売上高(または生産量・販売量)が、前年同期比または前々年同期比で10%以上低下していることが求められます(通常期の要件。特例期間中は要件が緩和されていた時期もありました)。
3. 労使協定が締結されていること
休業を実施するにあたっては、事業主と従業員代表との間で労使協定を締結しなければなりません。「会社が一方的に決めた休業」では要件を満たさず、協定書の書式・内容が審査で厳しく確認されます。
4. 休業等実施計画届を事前に提出していること
休業を実施する前に、「休業等実施計画届」をハローワーク(公共職業安定所)へ提出することが原則です。「実施してから届け出ればよい」という理解は誤りで、事前提出が認められていない場合は不支給となる可能性があります。
5. 支給申請期間の制限
雇調金には支給限度日数があり、1年間で最大100日(出向は最大3年)と定められています。この上限を超えた日数分は助成対象外となります。
申請の流れ——ステップごとに何をすべきかを整理する
実際の申請は、おおむね以下のステップで進みます。手続きを正確に踏まないと、不支給や返還の原因になるため、フローを頭に入れておくことが大切です。
- 事業活動の縮小を確認し、要件を満たすか精査する:売上高の比較計算を行い、10%以上の低下が数字として確認できるかどうかを確認します。
- 労使協定の締結:従業員代表と協議し、休業の具体的な内容(対象者・日程・休業手当の支払い率など)について合意した協定書を作成・締結します。
- 休業等実施計画届の提出:休業開始日の原則として前日(特例措置がない場合)までに、管轄のハローワークへ届け出ます。
- 休業の実施と記録の保存:実際に休業を実施し、出勤簿・賃金台帳・タイムカードなどを正確に記録・保管します。この記録が後の審査で非常に重要になります。
- 休業手当の支払い:平均賃金の60%以上の休業手当を従業員に支払います(労働基準法第26条)。
- 支給申請書の提出:判定基礎期間(通常1か月)終了後、2か月以内に支給申請書と必要書類一式をハローワークへ提出します。
- 審査・支給決定:書類審査が行われ、問題がなければ支給決定通知が届き、指定口座へ助成金が振り込まれます。
審査から支給までの期間は、通常1〜3か月程度かかることが多い傾向があります。繁忙期や特例措置期間中は審査が集中するため、さらに時間がかかる場合があります。
費用感と期間——申請に関わるコストを把握しておく
雇調金の申請自体に手数料はかかりませんが、専門家(社会保険労務士・行政書士)に申請書類の作成・代行を依頼する場合は、着手金と成功報酬(受給額の一定割合)の組み合わせで費用が発生するのが一般的です。
費用の目安として、書類作成の代行費用は事案の複雑さや休業者数によって異なりますが、数万円〜十数万円程度になるケースが多い傾向があります。成功報酬型の場合は受給額の10〜20%程度が相場として見られます(事務所によって異なります)。
一方で、自社で申請する場合も、担当者の工数という「見えないコスト」が発生します。初回申請の場合、書類の準備・確認・ハローワークとのやり取りに数日〜1週間程度の実務時間を要することは少なくありません。
よくある失敗と注意点——「やってしまいがちなミス」を知っておく
私がこれまでの実務で見聞きした中で、特に多い失敗パターンを整理します。これらは「知らなかった」では済まないケースも含まれるため、ぜひ確認しておいてください。
失敗1:計画届を出さずに休業を実施してしまった
「急いで休業させなければならなかったから」という理由で、計画届を出す前に休業を実施してしまうケースがあります。事前提出が原則であるため、後から申請しても不支給となるリスクがあります。急を要する場合でも、まずハローワークに電話で相談することが重要です。
失敗2:出勤簿・タイムカードの記録が不正確または不存在
「実際に休んだのに、記録が残っていない」「出勤簿の記入が雑で実態と合っていない」という状態で申請すると、審査で証拠不十分として不支給になる可能性があります。記録の整備は助成金申請の生命線です。
失敗3:休業手当の支払い率が不足している
労働基準法第26条は、休業手当として平均賃金の60%以上の支払いを義務づけています。これを下回る支払いでは、雇調金の計算基礎自体が崩れ、支給額の減額や不支給につながります。
失敗4:不正受給のリスクを軽視する
「実際には働いていたのに休業として申請した」「売上の計算を実態と異なる形で行った」といった不正受給は、返還命令・延滞金・場合によっては詐欺罪としての刑事責任にも発展しうる重大な問題です。厚生労働省は近年、不正受給への調査・摘発を強化しており、コロナ禍での申請分についても遡及調査が行われているケースがあります。
失敗5:制度の特例措置が終了したことを把握していない
コロナ禍の特例として拡大されていた助成率・上限額・要件の緩和は、段階的に縮小・終了しています。「以前と同じ条件で使える」と思い込んでいると、想定より助成額が少なかった、あるいは要件を満たさなかったという事態になります。
専門家に依頼するメリット——「任せる」ことで守られるものがある
雇調金の申請は、書類の種類が多く、記載内容の正確さが求められるため、専門家(社会保険労務士・行政書士)に依頼することで得られるメリットは少なくありません。
まず、要件の事前確認という点で、専門家に相談することで「そもそも申請できるかどうか」を申請前に見極めることができます。要件を満たさない状態で申請すると、時間と手間を費やした上で不支給という結果になりかねません。
次に、書類の正確な作成という観点から、様式の書き方・添付書類の選定・ハローワークへの提出タイミングなど、細かいところでつまずかないようにサポートを受けられます。記載ミスや添付漏れによる差し戻しは、時間的ロスだけでなく、支給タイミングの遅延にも直結します。
また、不正受給リスクの回避という点も重要です。意図せず不正受給にあたる申請をしてしまわないよう、適法な範囲で最大限に活用できるようアドバイスを受けることができます。
なお、雇調金の申請手続き(給与計算・労使協定に関わる部分)は社会保険労務士の業務範囲と重なる部分が多く、行政書士が関与できる範囲には法的な区分があります。行政書士に相談する場合には、必要に応じて社会保険労務士と連携して対応する体制が整っているかどうか確認することをお勧めします。
まとめ——経営者が今すぐ確認しておくべき要点
- 雇用調整助成金は、事業活動が縮小した際に従業員の雇用を維持するための制度で、休業・教育訓練・出向が対象となる。
- 申請には「売上高の10%以上低下」「労使協定の締結」「休業等実施計画届の事前提出」など、複数の要件を同時に満たすことが必要。
- コロナ禍の特例措置は終了・縮小されており、助成率・上限額・要件は通常運用に戻っている。申請前に必ず最新の要件を確認すること。
- 出勤簿・賃金台帳などの記録は審査の根拠となるため、日常的に正確に整備・保管することが不可欠。
- 不正受給は返還命令・延滞金・刑事責任に発展しうる重大リスク。「知らなかった」では通用しない。
- 申請の複雑さや正確さが求められる性質上、社会保険労務士・行政書士などの専門家に早めに相談することが、結果的に時間とリスクの両方を節約することにつながる。
- 雇調金は「緊急時に使う制度」ではなく、「業況悪化の兆しが見えたときに備えておく制度」という認識で、平時から仕組みを理解しておくことが重要。
Closing Note
雇用調整助成金は、正しく使えば経営者と従業員の双方を守る力を持った制度です。しかし、その力を借りるためには、制度の仕組みを正確に理解し、手続きを適正に踏むという前提が欠かせません。コロナ禍で「とりあえず使えた」という経験が、かえって「制度への誤った慣れ」を生んでしまっているケースを、私は実務の中で少なからず見てきました。
「今は業況が悪くないから関係ない」ではなく、「いざというときに正しく使えるように、今から理解しておく」という姿勢が、経営者としての備えになると私は考えています。申請要件の確認・書類整備の方法・専門家への相談タイミングなど、少しでも疑問や不安がある方は、ぜひ早めにご相談ください。