無料相談
医療法人

医療法人の事業承継を「先送り」すると何が起きるか——今すぐ知っておきたい法的手順と落とし穴

2026年8月5日 菊池 未聖|行政書士・行政書士きくち事務所代表

「まだ先の話だから」と事業承継を後回しにしているクリニック経営者の方は、少なくないと思います。しかし私がこれまで関わってきた事例を振り返ると、準備が遅れたことで関係者全員が消耗してしまったケースが、決して珍しくありませんでした。理事長が急病で倒れてから慌てて動き出す、あるいは後継者との調整が間に合わず、都道府県への認可申請が滞ってしまう——そうした現実が、医療法人の事業承継の難しさを象徴しています。

医療法人の承継は、株式会社のように「株式を譲渡すれば完了」という仕組みではありません。医療法(昭和23年法律第205号)に基づく都道府県知事の認可が必要な手続きが複数存在し、法人の種類(持分あり・持分なし)によっても対応が大きく異なります。税務・登記・定款変更まで含めると、完了までに1年以上かかることも珍しくないのが実態です。

本記事では、医療法人の事業承継を検討しているクリニック経営者の方に向けて、「なぜ今動くべきか」という視点を軸に、法的手順・費用の目安・よくある失敗・専門家の活用法まで、実務家の目線で整理してお伝えします。

なぜ「今」動くべきなのか——先送りが生む三つのリスク

事業承継を先送りにすることで生じるリスクは、大きく三つに整理できます。

一つ目は、理事長の突発的な不在リスクです。医療法人では、理事長は原則として医師または歯科医師でなければなりません(医療法第46条の6第1項)。理事長が急病・死亡・医師免許の返納といった事態に直面した場合、後継者が未定であれば法人運営そのものが立ち行かなくなります。理事長が空席になる期間が長引けば、保険診療の継続や従業員の雇用にまで影響が及ぶ可能性があります。

二つ目は、税負担の問題です。特に「持分あり医療法人」では、出資持分の評価額が高額になっているケースが多く、後継者への持分移転に際して贈与税・相続税が課される場合があります。国が設けた「認定医療法人制度」を利用すれば一定の税制優遇を受けられますが、この制度には申請期限があります。現行の認定制度(医療法人の開設者の変更に係る認定制度)は、令和6年度末までに経過措置が設けられており、制度の活用を検討するなら早期の動き出しが不可欠です(制度の詳細は後述)。

三つ目は、後継者との関係構築に要する時間です。親族内承継であれ、勤務医への承継であれ、後継者が法人の経営実態・患者層・スタッフとの関係を把握するには相応の時間が必要です。承継後すぐに経営が揺らぐケースの多くは、この「引き継ぎ期間」の不足が原因です。

医療法人の種類を確認する——持分あり・持分なしで手続きが変わる

事業承継の手続きを考える前に、まず自分の法人がどの類型に属するかを確認することが出発点です。

医療法人は大きく「持分あり医療法人」「持分なし医療法人」に分かれます。平成19年(2007年)の医療法改正以降、新たに設立できる医療法人は持分なしに限定されています。したがって、それ以前に設立された法人の多くは持分あり(経過措置型医療法人)に該当します。

持分あり医療法人では、出資者が法人に対して出資持分という財産的権利を持っています。この持分をどのように取り扱うかが、事業承継における最大の論点の一つです。選択肢としては、(1)後継者に持分を引き継ぐ、(2)持分なし法人へ移行する、の二方向があります。それぞれにメリット・デメリットがあり、どちらが適切かは法人の財務状況・後継者の資力・関係者の意向によって異なります。

持分なし医療法人の場合、出資持分という概念がないため、承継の主な論点は理事長交代と役員変更の手続きに集約されます。持分ありと比べると承継手続きはシンプルになる傾向がありますが、それでも都道府県への届出・認可が必要な場面は多く存在します。

理事長交代・役員変更の法的手順

医療法人の事業承継において中心となる手続きは、理事長の変更です。以下に一般的な流れを示します。

  1. 後継者の要件確認:理事長候補が医師または歯科医師の資格を有しているか確認します。例外的に都道府県知事の認可を受ければ非医師・非歯科医師でも理事長になれる場合がありますが、実務上の例は限られています。
  2. 社員総会・理事会の決議:定款の規定に従い、社員総会(または理事会)で新理事の選任・旧理事の退任を決議します。議事録の正確な作成が後の申請に直結するため、内容の精度が重要です。
  3. 定款変更が必要な場合の認可申請:理事長の変更に伴い定款の記載事項(役員の構成など)が変わる場合は、都道府県知事への定款変更認可申請が必要です。認可が下りるまでの期間は都道府県によって異なりますが、おおむね1〜3か月程度が目安です。
  4. 登記変更:医療法人は法務局への登記が必要です。理事長交代後2週間以内に変更登記を行う必要があります(組合等登記令)。この手続きは司法書士が担当しますが、行政書士が全体のコーディネートに関わることが多くあります。
  5. 各種届出:厚生局(保険医療機関の届出)・都道府県・市区町村など、関係機関への届出が複数発生します。届出漏れがあると保険請求に支障が出るリスクがあるため、チェックリストを用いた管理が欠かせません。
ポイント:定款変更認可申請は都道府県によって求める書類の種類・様式が異なります。事前に所管の都道府県担当窓口に確認するか、実務経験のある専門家に相談することをお勧めします。

認定医療法人制度——持分あり法人が活用できる税制優遇

持分あり医療法人が持分なしへの移行を検討する際に注目すべき制度が、認定医療法人制度です。これは、一定の要件を満たす医療法人が厚生労働大臣の認定を受けることで、出資者や後継者への贈与税・相続税の課税が猶予・免除される仕組みです。

制度の根拠は「社会医療法人債を発行する社会医療法人の認定等に関する省令」および「良質な医療を提供する体制の確立を図るための医療法等の一部を改正する法律附則第10条の2」に置かれており、認定を受けた法人の出資者が持分を放棄した場合、法人への「みなし贈与課税」が生じないよう手当てされています。

認定を受けるための主な要件は以下の通りです。

  • 役員に対する利益供与の禁止(役員報酬の適正性)
  • 社会保険診療収益が全体の80%以上であること(いわゆる「80%要件」)
  • 一定の情報公開の実施
  • 残余財産の帰属先を国・地方公共団体・持分なし医療法人等に限定する定款変更

認定の有効期間は3年であり、認定期間内に持分の放棄・持分なし法人への移行を完了させる必要があります。この制度は複数回にわたり期限延長が行われてきた経緯があり、現時点での適用期限・最新情報については厚生労働省の公式発表を必ず確認してください。

認定医療法人制度の申請・運用には、医療法・税法・定款変更の各専門知識が同時に必要です。税理士・司法書士・行政書士が連携して対応するケースが多く、早めのチーム組成をお勧めします。

費用と期間の目安

医療法人の事業承継にかかる費用は、法人の種類・規模・選択する手続きによって大きく幅があります。以下はあくまで目安としてお読みください。

手続きの種類おおよその費用目安期間目安
理事長変更・役員変更(行政書士報酬)15万〜30万円程度1〜3か月
定款変更認可申請(行政書士報酬)20万〜40万円程度2〜4か月
登記変更(司法書士報酬)5万〜15万円程度2週間以内
認定医療法人申請(行政書士・税理士連携)50万〜100万円以上6か月〜1年以上

上記に加え、持分評価のための不動産鑑定・株式評価費用、税理士への相談料・申告費用が別途発生することが一般的です。「費用を抑えたい」という気持ちは当然ですが、手続きの遅れや誤りによるやり直しのほうがコストがかさむことも多いため、最初から適切な専門家に依頼することがトータルでは合理的な判断になる場合が多いです。

よくある失敗と注意点

実務の中で繰り返し見てきた失敗パターンをいくつか紹介します。

定款の内容と実態のズレ

長年運営を続けてきた医療法人では、定款の内容が実際の運営実態と乖離しているケースが少なくありません。役員の構成・事業所の所在地・業務の範囲などに古い情報が残ったままになっていることがあります。承継手続きの中で定款の精査を行うと、この段階で初めて不整合が発覚し、追加の手続きが必要になることがあります。承継を考え始めたら、まず定款の現状確認から着手することをお勧めします。

後継者の医師免許の確認漏れ

親族内承継の場合、後継者がまだ研修医・専攻医の段階で承継プランを立てているケースがあります。医師免許の取得・専門医の資格・勤務経験年数といった要件が満たされるタイミングを逆算したスケジューリングが必要です。

出資者全員の同意が取れない

複数の出資者がいる持分あり医療法人では、承継・持分放棄に際して出資者全員の合意が必要になる場面があります。相続が発生している場合は、出資持分を相続した遺族全員が利害関係者になります。人間関係の調整が法的手続きと並行して必要になるため、早期に関係者を把握しておくことが重要です。

各種届出のタイミングのズレ

都道府県への認可申請・法務局への登記・厚生局への届出は、それぞれ手続きのタイミングが異なります。登記を先に完了させてしまったがために都道府県の書類と整合が取れなくなる、といったトラブルが起きやすいため、手続きの順序と窓口を整理した工程表の作成を強くお勧めします。

専門家に依頼するメリット

医療法人の事業承継は、医療法・税法・登記・労務と多岐にわたる分野の知識が必要です。一人の専門家がすべてをカバーすることは難しく、実務では行政書士・税理士・司法書士・社会保険労務士が連携してチームを組むことが一般的です。

行政書士が担う主な役割は、都道府県への認可申請書類の作成・提出、定款変更手続きの進行管理、各種届出書類の整備です。私自身が関与する案件では、申請書類の作成だけでなく、事前に都道府県担当者と協議して申請の方向性を確認するという工程を必ず設けています。窓口によっては「書類を出してみないと分からない」という対応になることもありますが、事前相談で論点を整理しておくことで、差し戻しのリスクを下げることができます。

また、承継の過程で浮かび上がってくる「後継者との合意形成」「出資者への説明」といった人間的な側面についても、専門家が第三者として関与することで、当事者同士では言いにくいことを整理する場面が生まれやすくなります。法的手続きの代行だけでなく、こうした「場の設計」の役割も、専門家に依頼する価値の一つだと私は考えています。

まとめ

  • 医療法人の事業承継は「株式譲渡で完了」とはならない。都道府県知事への認可・各種届出が複数必要であり、完了まで1年以上かかる場合がある。
  • 理事長交代には社員総会・理事会の決議、定款変更認可申請、法務局への登記変更、厚生局等への届出が必要で、手続きの順序を守ることが重要。
  • 持分あり医療法人では出資持分の取り扱いが承継の核心となる。認定医療法人制度を活用すれば税制優遇が受けられるが、申請期限があるため早期の検討が必要。
  • 費用は手続きの種類・規模によって異なり、理事長変更のみであれば数十万円程度、認定医療法人申請を含む場合は100万円超になることもある。
  • よくある失敗は「定款と実態のズレ」「出資者全員の合意未取得」「届出のタイミングのズレ」。承継を検討し始めたら定款の現状確認から着手することを勧める。
  • 行政書士・税理士・司法書士の連携チームによる対応が、スムーズな承継への近道。

Closing Note

事業承継を「まだ先の話」と感じているうちに、制度の期限が過ぎてしまう——そうした事例を目にするたびに、「早く知っておけばよかった」という言葉が胸に刺さります。医療法人の承継は、法的手続きの複雑さもさることながら、後継者・出資者・スタッフ・患者さんといった多くの関係者の人生に関わる意思決定です。だからこそ、時間的な余裕を持って、信頼できる専門家と一緒に丁寧に進めていただきたいと思います。

行政書士きくち事務所では、医療法人の設立・定款変更・事業承継に関するご相談を承っております。「まだ承継は先の話だけれど、今から何を準備すべきか知りたい」というご相談も歓迎しています。現状の整理だけでも大きな一歩になりますので、お気軽にお問い合わせください。

菊池 未聖

菊池 未聖

行政書士・行政書士きくち事務所代表
医療法人鳳應会 理事

慶應義塾大学法学部卒。助成金・補助金の申請と医療法人設立を専門とする行政書士。ものづくり補助金・IT導入補助金・小規模事業者持続化補助金・キャリアアップ助成金・事業再構築補助金からクリニック開業補助金まで。採択される申請書の書き方を中小企業・個人事業主、医療機関向けに発信。